子供のいない人生だから、できること

『子供のいない人生を歩むことにしました』2nd! ひと山越えて、これからも夫婦ふたりで歩いていく。身のまわりの小さなことから、幸せを発見する日々の記録。

待ち続けた言葉『もう不妊治療はやめていいんだよ』

 

 

先日の記事では、
たくさんの拍手コメントをいただき、
ありがとうございました。

1通づつ、
大切に拝読させていただきました。
本当にありがとうございました。

気持ちにググッと
あたたかい『勇気』がわいてきました。

『わたし』は『わたし』だ。

『親のために生きる』のではなく、
心を強く持って、
『自分のために生きて行こう』
そう思いました。

そんななか、
不妊に苦しんでいた
『過去の自分』を振り返ったとき、
あることに気づきました。

わたしが、数年前、
自分のお腹を切ってまで、
どうしてあそこまで、
『不妊治療を頑張り続けた』のか。

そして、2度目、
『わたしはもう一回お腹を切って、
不妊治療をしなければならない』

わたしは、
あのとき、強く思い、

『もう一回わたしがお腹を切れば、
わたしの両親は、納得してくれるんじゃないか。』
そう思ったこと。

やはり、
わたしの心は、
『毒になる親』である『両親』に、
完全に支配されていたんだな。

だって、
あのとき、
思ったんです。

もう一回、お腹を切れば、
わたしは両親から、
父から

『許してもらえるのではないか』と。

そして
その覚悟で実家へ行き、

わたしは、
頭の中がポッカリと、
抜け殻のようになった状態で、

まるで自動で動く機械のように
話し始めたのだった。

『もう一回、
お腹を切って、
不妊治療をゼロから始めようと思ってるよ』と。

 

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でも本当は、
そんなことは、
自分の意志ではなかった。

わたしはもう、
この状態に、ヘトヘトに疲れていて、

でも、
両親が『孫』『孫』っていうから、

きっと両親は、
『不妊治療を続けたい』って、
わたしに言ってほしいんだろうなと

そして、こんなツライ日々は、
『わたしが孫を産まないと、
もうこれは終わらない』と
そう思ったんです。

するとその時、たまたま、
外科の開腹手術を
60歳過ぎで初めて経験したばかりの父が、

『腹を切るのは、
アレは、すごく痛いよな。
オレはまだ夢に出てくる。
毎日うなされる。
あんな痛いことは、もうしなくていいよ』
そう言ったんです。

わたしは耳を疑いました。

でも、
ああ
『やっと、お許しが出た』

不妊治療を、
『わたしはもうやめていいんだ』と。

でもきっと父は、
開腹手術を自分が経験したばかりでなければ、
そんなことは言っていなかっただろう。

自分の立場や思い
なによりも、
『自分のことが一番大切』
そういう人なのだ。

自分のことばかり主張して、
相手の心に、寄り添ったことなんてないから。
子供の心に、寄り添ったことなんてないから。
そこが、すごく残念。

だからやっぱり思うのは、

『孫』『孫』
『孫はまだか』
と、『娘の体調』とかは、
どこかに忘れてしまったかのように、
プレッシャーをかけてくる親っていうのは、

子供を産めない娘の心に、
『寄り添うことのできない』
『思いやりのない、自己中心的なヒトである』
そう、わたしは思います。

そして、
わたしは、
そんな非情な両親であるにもかかわらず、

喜ばせたくて一生懸命、
心も体も
ボロボロになりながら、

親の期待にこたえられない『罪悪感』から、

ひたすら『良い子』であり続けようと、
年がら年中『不妊治療』のことで悩み
頑張り続ける
人生を親に支配された『娘』だったということです。

だからね、
『孫』『孫』と
いつも口ぐせになっている、
ご両親のみなさん、

義理のご両親のみなさんもそうです

もしかしたら、
あなたがたは、
『毒になる親』なのかも。

娘さんの心に寄り添っていますか?
お嫁さんの心を考えたことがありますか?

『孫がいないと困る』って、
『世間体』とか、
『世間の目』とかいうものばかりを気にしていませんか?

ちょっと冷静になって
考えてみてください。

娘さんの体調は大丈夫ですか?
お嫁さんの体調を考えたことはありますか?

不妊治療というのは、いろんな注射をしますね。
ホルモン剤を使いますよね。

ホルモン治療って、
アレって、
ものすごく、体がキツイんですよ。

やったことがないからわからないって、
スルーされるのは悲しいですね。

アレは体が
とてもシンドくなるんですよ。

『不妊治療は、もうやめていいんだよ』と、

ひとこと言ってあげられる、
幅の広い、
大きくあたたかい『人生の先輩』になってみたいとは
思いませんか。

重荷をひとりで背負い込んでいる
娘さんや、
お嫁さんに、

きつかったでしょう、
その荷物はもう、
全部、降ろしていいんだよと

そんなに、ひとりで抱え込まなくても、
大丈夫なんだよ
心配しなくていいんだよ

誰のせいでもないんだよと、
言ってあげられるのが、

子供の『安全地帯』である『親』の

『本来の姿』なんじゃないかなぁと思うのですが、
いかがでしょうか。

 

今日、気づいたこと

両親が
『ヒトの気持ちに寄り添えず』
わたしをコントロールし、何度傷つけようとも

毒されることなく、
屈することなく、

本当に自分の望む、自分の人生を
わたしは新しく
切り開いて生きていきたい。

そう、強く思うのでした。

子供はいなくても大丈夫。

夫婦ふたりで、手をつなぎ、
いつか観た
チャーミーグリーンのCMの
おじいちゃんとおばあちゃんのように

歩くぞ、歩くぞどこまでも(^^)v

 - 『毒になる親』幼少期の悲しい記憶