子供のいない人生だから、できること

『子供のいない人生を歩むことにしました』2nd! ひと山越えて、これからも夫婦ふたりで歩いていく。身のまわりの小さなことから、幸せを発見する日々の記録。

神様は、乗り越えられない試練は与えない。

 

こんにちは。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。

やっと書けるようになりました。
ひさしぶりの更新です。

実家の父が、歳をとったせいか、
元々の性格のうち、
『カナリねじ曲がってる部分』が
頻繁に表へ出てくるようになり、

手に負えず、
疲れる日々を送っておりました。

なんというか、
元からヘンなんだけど、

もっとヘンになったなぁ
という感じ。

他人様に対して
失礼な発言を連発しておきながら、
失礼だということに気づかない。

『失礼なことだよ』と、
わたしたち身内が指摘すると、

オレはそんなことは言っていない。
心外だ!
そう言って激高する。

『言った』ことを、
『言っていない』という。

シラを切っているのか、
ウソつきなのか、
本当になにも覚えていないのか。

でも、どれであっても、
やっかいだ。

そして
本当に覚えていないんだったら、
それは多重人格か、
認知症だよな
とか、考える日々が続き
わたしはクタクタに疲れてしまったのでした。

母はそんな父の
『奇妙な変化』にうっすらと気づきながらも、
毎日振り回され続け、疲労が蓄積。

目にチカラがなくなり、
ぼーっとするようになった。

マズイよね
これじゃあ、夫婦共倒れじゃないかと。

そんなこんなで2週間以上が経った。

とりあえず、
静かになった。

でも、
何がどうなるのか、
先のことはわからない。

自分のことを
『ヘンになった』と気づいていないヒトを
病院へ連れて行くのは難しい。

さらに、
酒を飲む習慣があるから、
もっとやっかいだ。

暴言がひどい。
はっきり言ってデタラメ。
メチャクチャ。

自分の父親は、
『こんな男』だったのかと思うと
すごくミジメ。
すごく残念。

親を思いやる気持ちも、吹き飛ぶほどに。

親孝行は
これまでたくさんしてきたつもりだ。

だけど、
そんなのゼンゼン伝わっていなかった。

なーんだ、
そーか
そーなのか。

わたしのこれまでは
いったいなんだったんだろうかと。

残念。
すごく残念。

そして、
もしも本当に認知症だったら、
わたしゃ、これから父が死ぬまで、
こんな気持ちで
ずっと関わっていくことになるのかと、

ああ、
残念だなあと、
やっぱり
そんなことを思うのでした。

この連休、
見上げると
ずっと曇り空だった。

まあ、
人生、生きてりゃ
こういうこともある。

でも、
ここからどういう風に切り返すかだな。

『不利な状況を、
不利だなんて思わず、
いかに好転させるか』だな

いつだったか、
誰かから教えてもらった言葉。

勇気が出る言葉。

『逆境をチカラに変える』

ムリはしないけれど、
乗り越える。

『神様は
乗り越えられない試練は与えない』
マザーテレサの言葉。

それが本当なのか
どうなのかなんて疑わず、

ただ信じてみよう。

信じてみるだけで、
ずいぶん心は軽くなるものだ。

誰しも、
形は違えど
『苦難』はある。

ただ、ヒトのそれは
なかなか目に見えないから、
『わたしだけ苦難がある』ように
思ってしまうだけだ。

ベラベラ喋るようなことではないし、
うちに秘めて、耐えているから
はたからは
『苦労がない』ように見えるていだけだ。

さあ、
11月もあと1週間。

街は緑と赤の飾り付けが目立つようになってきた。
17時を過ぎると日が暮れて、
イルミネーションがキラキラ輝く。

スーパーには、
『鏡餅』が並ぶようになった。

ついこの前まで、
オレンジ色とか
白いかぼちゃを並べて、
ハロウィンのカボチャはかわいいなぁ
とか言っていたのに。

今年はいい年だったと思う。

風邪をひいたり、
生理が来なくて
更年期だとか、なげいてみたけれど、

月日とともに、
あー、
そういうこともあったなー
ぐらいにしか
思わなくなった。

この一年、
実はイロイロあったんだけれど、

はっきりいって、
どんなことがあったのか、
もう忘れている。

つまり、
もう、なんとも思わなくなった。
だから、
あらがうこともない。

時間の力はスゴイと思う。

いろんな困難
それは、
誰にでも訪れること。

『加齢』とか『年をとる』ということもそう。
どこか、ここかが
だんだんと朽ちてきて、
『老化』するのは、
生き物として、当たり前だということ。

芽を出して、
咲いた花のあとは、枯れてしまうように、
人間もいつしか、
終わるというコト。

だから、
『今』は、
『今しかない』ということ。

そんな『今』を
悲しみで満たしてしまうのは、
もったいないということ。

悲しむくらいなら、
楽しいことを考えたほうがいいということ。

『今』を、
『楽しみ』で
満たしてしまう方がいい。

頭の中のほとんどを、
『悲しみ』や『つらい』ことが
入るスキマがないくらいに、
『楽しみ』で満たしてしまおう。

だから、
自分の『楽しいこと』を
今からしっかりと、知っておこう。

ツライことや
悲しいことが訪れた時は、

『わたしはコレをすると元気になれるんだよね』と
自分で自分を救えるように。

今日は小庭の草取りと、
植物の植え替えをした。

わたしはひとりでモクモクと
この作業をしている時が
一番楽しい。

わたしの育てた花に、
蝶がやってくる。
ミツバチもやってくる。

ムシを食べに、
小鳥がやってくる。

そんな時間が
イチバン充実している。

ずっとこういうことができたら
人生、幸せだよなぁと
わたしはいつも感じる。

やっとたどり着いた『自分の好きなこと』

それをしっかりと握りしめ、
わたしは人生の折り返し地点をかけぬけてゆく。

 

今日、気づいたこと

ツライことや
悲しい経験は、

『これからのわたし』を作る、いしずえとなる。

 - 『毒になる親』幼少期の悲しい記憶