子供のいない人生だから、できること

『子供のいない人生を歩むことにしました』2nd! ひと山越えて、これからも夫婦ふたりで歩いていく。身のまわりの小さなことから、幸せを発見する日々の記録。

自分の未熟さを『子供』で満たそうとした親。

 

こんにちは
いつもご覧いただき、ありがとうございます。

ここ3日ほど、
とてもいいお天気。

見上げる青空の
『青い色』が
なんだかとても、心にしみるのだ。

『知らなかったよー
空がこんなに青ーいとーはー。』

そういえば、
小学生のころ、
どういうワケか
気がつくと合唱部員になっていた。

そして初めて歌ったのが
『空がこんなに青いとは』だった。

わたしは、
忘れていた『子供の頃の自分』を思い出した。

わたしの父は
『酒を飲んで暴力をふるう男』だった。

物心ついたときから、
それは始まっていて、

母に手を挙げる父がいた。

わたしは、
家の階段へ逃げ、
父と母が言い争う声と物音におびえ、

ただただ、
涙を流し、
両手をにぎりしめ、
祈るだけだった。

『だれか、たすけてください。』
『かみさま、たすけてください』と。

母は言った。

『近所に知られるといけない』
『近所に知られるとはずかしい』と。

そして、
父の暴力が始まると、
家の窓とカーテンを閉めた。

そうか、これは
『ヒトに知られたら
いけないことなんだ』

わたしは、
このことを
誰にも話さず、
胸の中に秘め
41歳になるまで生きてきた。

こういうことを
つまり、
親からの『刷り込み』

もっと言うと
親からの『洗脳』ともいう。

大人になって
気づいたことがある。

そうかそうか、
『こういうこと』を
被害に合っている母親がするから
『家の中で何が起こっているのか』
外からはわからないんだなと。

わかるわけないよね。
わからないように
被害者側が、シャットアウトしてるんだから。

だから、
こういう『家庭内暴力は』無くならない。

母は
父によって支配されている。
昔も、今も。

そして
『お父さんは、かわいそうな育ちだったから』と。
『お父さんは、かわいそうな人だから仕方がない』のだと。

それは、
わたしが結婚して
家を出るまで続いた。

ってことは、
ずーっと、そんなことを
やっていたということだ。
わたしの両親は。

『それはDVですね』

えっ
『DV !?』

DV、DVって、
テレビとか女性誌とかで
昔から見聞きしていたけれど、

こんな身近に、
というか、
自分の家がそうだったなんて、

ビックリするというか、
衝撃的というか、

『アレはいったい何だったのだと』
わたしの『これまで』の
『ガマン』は、
いったい何だったのだと。

『フツー』だったら
しなくてよかった『ガマン』を、
ずっと、
し続けていたってことか?

はあ?
なんてこったと。

なんという
残念な男女のもとに生まれたのだ
わたしはと。

『大ハズレ』じゃないかと。

そして先日、
ガクゼンとしていたところに、
あるひとが
こういうことを教えてくれた。

『親』を、
ただのちっぽけな
『ひとりの人間』として
見つめてみよと。

なるほどなぁと。

わたしの両親は、
『親を敬え!』
『親を大切にしろ!』といまだに言う。

親孝行なら、
もうこれまで、
山のようにしてきたつもりだけれど、

なにも響いていない。

底なし沼のように
『賞賛の声』を求める。

だいたいそもそも、
そーいうのは、
言われて
強制されて『思う』ものではない。

自分が『大切にされたから』
親を『大切にしたいな』と思うのが
自然な流れなのであって。

そこのところが
欠落している。
それがわたしを産み育てた親、
彼らなのだ。

父の口ぐせの言葉がある。
『どうして、
俺のことをわかってもらえないのか』と。

母の口ぐせの言葉がある。
『お父さんが悲しむから、こうしなさい』
『お父さんが喜ぶから、こうしなさい』

なるほどそうか、
父は自分の『精神的未熟さ』を、
『そうじゃないよ。立派だよ』と、
ヒトに満たしてもらおうとした。

だから、
自分をピラミッドの頂点とした
逃げることのできない『家族』に、
それを求めた。
それを強制した。

『お父さんスゴイね!』と
言わせて、
自分の『心』を満たしたかった。

ああ
残念だな。

ヒトは
スゴイものには、スゴイと言うが、
スゴクないものには、
スゴイとは言わないんだよなーと。

『お父さんは
一生懸命子育てしたのよ』
どうしてそれがわからないのかと、
母が言う。

ひとつわかったことがある。

『子供のため』に
『子育て』したのではない。

『自分のため』に、
『子育て』をしたのだ。

『子供の心に寄り添う』ことなどしなかった。

『親の心に
子供を従わせようとした』だけだった。

それを
彼らは『子育てをした』と言う。

そこがすごく残念。

心が未成熟な人間が
『子供を育てる』と、
時に、こういう『間違い』が起こる。

『子供』を、
自己実現のための『ツール』に
してしまうんだよね。

なるほどなぁと。

そして思う。
もしかしたら、
わたしもそういうところがあったかも。

こういう男女のもとに誕生し、
育てられ、
わたしは自分の『無力さ』ばかりに
目が行く
『自分に自信が持てない』人間として成人した。

だから、
そんな自分に『子供ができた』とき、

はたして、
キチンと育てることができただろうかと。

『子供の心に寄り添われた』ことがないのに、
『寄り添う』ことなんて、
わたしにできたのだろうかと。

そんなことを
ふと考えるのでした。

だからね、
『子育て以外』で、
自己実現したらよろしい。

自分の『精神的未熟さ』は、
『子育て以外』の『経験』や『お勉強』で、
学んだらよろしい。

今日は天気が良い。
今年もあと20日か。

イロイロあったけれど、
今年は良い年だった。

ツラいこともあったけれど、
沢山のツライことのおかげで、
いろんなことに気づけた年だった。

そうやって、
わたしは人生を重ねていく。

だいじょーぶ。
きっとうまくいくから(^^)

 

 

今日、気づいたこと

子供がほしかったけれど、
恵まれず、

どうして、そうなのかと
悩み考えた続けた時間は、

とても尊い。

それは、
自分の人生の財産だ。

 - 『毒になる親』幼少期の悲しい記憶