子供のいない人生だから、できること

『子供のいない人生を歩むことにしました』2nd! ひと山越えて、これからも夫婦ふたりで歩いていく。身のまわりの小さなことから、幸せを発見する日々の記録。

ヒトの葬儀に思う②

 

~前ページの続き~

そんな祖母は
65歳くらいの時に、

『肺気腫』になり、
自力で『息をすること』が
できなくなっていった。

『鼻に入れた管』は、
持ち運びのできる
『酸素ボンベ』へつながっていて、
それを、
ガラガラと自分で引いて
歩いていた。

『酸素』が『脳』へ
届きにくいから、
そうしているうちに
『まだらボケ』になり、

『認知症』になって行った。

その後、
『認知症の徘徊中』に
転倒し、
ビテイコツを折ってしまい、

車いす生活を経て、
完全な『寝たきり』となった。

30年近くを
そうやって過ごし、

90歳過ぎで
人生の幕を閉じた。

『介護』問題は切実だった。

子供は何人もいるし、
その配偶者や孫も
たくさんいるのに、

『引き受けよう』
というヒトは
誰もいなかった。

デタラメ厳しくされて、
育ててもらった記憶が
13歳までしかない
『第一子』と、

ずっと溺愛されてきた
『第二子』と、

放置されて、
『第一子』が学費を工面して
卒業できた
『第三子』と、
ほかにもいろいろ。

子供たちはみんな、
60歳を超えていた。

葬儀の後の
親族会議では、
みな、
それぞれの思いを語り、
泣いていた。

『母をしのんで』
ではない。

自分は、
この母親に、
こういうことを言われ、
こういうことをされ、
『こんなに傷ついて
育ってきたのだ』と。

ついつい
日本酒を飲みすぎちゃって、
キレまくっているオジサンもいた。

オレが一番、
この婆さんに苦労させられたんだー!

そうよ!
お義母さん
ひどかったんだからー!

お嫁さんたちも、
黙っていなかった。

こんなことされた!
あんなことされた!

あんなこと言われた!!
ヒドイ
ヒドイヒドイ!

ぎゃおー!

大荒れ。
超大荒れ。

今来ている
史上最大級の
大寒波に襲われたように、
一同みんなで、
凍りついてみたり、

長い年月をかけて
ためていた火山が、
あちらこちらで、
大噴火しはじめたみたいに。

これが、
『祖母の思い出』
の『最期の部分』

先日、
73歳になる
知り合いのおじさんの
葬儀があった。

ちょっと
早すぎたよねぇと
遠方からかけつけた、
80歳のお姉さんが言った。

これから、
土地の問題とか、
家の問題とかを
話すのだけれど、

きょうだいみんなが
育った場所だから、
どうにか
残せないかなという方向で

みんなで
話し合うのだと言っていた。

『ひとり暮らし』だったから、
『家族葬』にしたのに、
近所のヒトや
オジサンの知人や
友人たちが沢山やってきた。

どうして、
知らせてくれなかったのかと。

それぞれが
声をかけあって、
沢山の人がやってきた。

『ひとり暮らし』だったけれど、
おじさんは、
ひとりじゃなかった。

沢山の人たちに
囲まれて生きてきたのだ。

『生きざま』

『ヒトの生きざま』

同じ日本人なのに、

『どう生きたか』で、
こんなに
『終わりかた』が違う。

子供の『有無』ではない。

たったひとりの
人間の人生。

ヒトの一生。

いったい、
なにが正しくて、
なにが間違っていたのか、

それは本人にしか
わからないかもしれない。

ヒトが
とやかく言う問題では
ないのかもしれない。

だからこそ、
自分はこれから
どのように
生きて行ったらよいのかなと

どんな
『生きざま』でありたいのかと。

小雪の舞う空を
部屋の窓から見上げながら、
しばし
もの思うのでした。

それではまた!
本日も、長文をお読みいただき
ありがとうございました。

暖かくして、
『最強寒波』を乗り切りましょう(^^)v

 

~わたしの好きな言葉~

 

失敗したっていいじゃないか。
人間にとって成功とは何だ。
結局、夢に向かって
どれだけ挑み努力したかではないか。

by岡本太郎
 『自分の中に毒を持て』より

 

 - 今日、気づいたこと