子供のいない人生だから、できること

『子供のいない人生を歩むことにしました』2nd! ひと山越えて、これからも夫婦ふたりで歩いていく。身のまわりの小さなことから、幸せを発見する日々の記録。

『春の芽吹き』に、もの思ふ。

 

 

こんにちは
いつもご覧いただき
ありがとうございます。

ひさしぶりの更新です。

 

この冬に植えた
『チューリップ』が芽吹いてきました。

ファンシーフリル『ファンシーフリル』

 

クリスマスドリーム『クリスマスドリーム』

 

玉蔓たまかずら『玉蔓(たまかずら)』

 

まだ寒い日もあるけれど、
春が近づき、

ここ最近は、
ブログ更新を
『すっかり忘れてしまった』ほど、

玄関先や
庭にある『土』ばかりを
毎日、毎日

下を向いて、
座り込んで、
ながめているところです。

コレが
けっこう
楽しかったりするのです。

例えば、
これら3種類のチューリップ、
すべて
『同じ時期に植えた』のだけれど、

それぞれ
成長のスピードが
まったく違うのです。

へー
おもしろいなぁと。

葉っぱの大きさも違う。

葉っぱの形も違う。

そして、
『同じチューリップ』だけれど、
『違う色』
『違う形』をした
花を咲かせることになる。

うわー
楽しみだなぁと。

ぜんぶ、
『違っていて、ステキだな』

そう
わたしは思うワケです。

だけどどうして、
『日本に住んでいる人間』は、

『いろんなこと』が、
『みんなと同じ』じゃなければ、

『それってダメよね』
というふうに、
されてしまうのかな?

ってことなんですが。

ソコが
すごく
『ヘン』だなぁと
思うワケであります。

『植物』と
『人間さま』は立場が違うだろうって?

いやいや、
ナニ言ってんだ、

『植物さま』に失礼だぞ。

植物は、
『人間さま』がいなくても
『生きていける』けれど、

『人間さま』は、
植物がいなければ、
生きていけないよねと。

野菜、
果物、
酸素を作ってくれたり、
家畜のエサになってくれたり、

『緑の葉っぱ』は
枯葉になって
地面に落ちる。

そして、
土の中の微生物によって、
やがて『土になる』

あたらしい土から、
新しい植物の芽が
芽生える。

人間が
どこか、むかしの、
忘れてしまったところで、

気づかないところで、
そういう
『自然の循環』が
なされているワケだ。

なんたらかんたら。

と、
そんなことを
考えていたら、

なんだか、
『人間』っていうのは、

『自分の内側』
『自分の足元』を見ずに、
ヒトと比べてどうだとか、

勝ったとか
負けたとか、

ああくやしいとか、
妬ましいとか、
憎いとか、

『あんたはダメ』だとか、
『間違ってる』だとか、

あっはっはーとか、
嘲笑とか、

仲間はずれだとか、

どうにも
こうにも、
『大脳』があるばっかりに、

いろんなことを
考えて、

ひねくり、こねくり
イロイロ考えて、

『ややこしい』ことに
なってしまって
いるのだなーと。

あー。
なんだかなー。

ややこしいのは、
もういいや。

そういうのは
もう、
けっこうでございます。

シンプルに
これからは生きたいなと

そんなことを
思う、
2016年の早春。

あと1週間で
『桜が開花』

『子供のいない夫婦』の春。

いいのじゃ
いいのじゃ。

それでよいのじゃ。

いろいろある
『人間関係』を、

わたしゃ
『一部、免除された』のである。

うひょひょ。

さあ
春を楽しみましょう。

ではまた!(^^)

 - 今日、気づいたこと