苦しみは、いつか笑って話せる『笑い話』になる。
[2013年5月 くじゅう花公園にて]
こんにちは。
いつもご覧いただきありがとうございます。
以前わたしが撮った、
一枚の写真を見つけた。
このころのわたしは、
まだまだ、『子供のいない自分』を受け入れることができず、
ただただ、暗闇をさまよっていた。
とにかく、
家の外に出て、
誰かに会うのがとてもイヤだった。
『なにもない自分』という目で、
自分を見つめてしまう。
そして、そんな自分のことを、
『自分自身が一番嫌っていた』時期だった。
あるとき、ダンナが、
『せっかくカメラを買ったから、
自然の風景を撮りに行こうよ』と言い始めた。
車へ乗って、
イヤイヤながら、ついていったのが
大分県内にある、『くじゅう花公園』。
『めんどうだなぁ』とか思いながら歩いていると、
ダンナが、
『これで撮るといいよ』と、
買ったばかりの一眼レフをわたしに差し出してきた。
『写真は、いつか撮りたくなったときにとるから、
今はいいよ。カメラはいらないよ』とか、
ナントカ、
ブーたれながらもわたしは手にとり、
『やりたくないのにホント無理じいだな』、
『ダンナに合わせるのって、ホント疲れるな』とか、
今思うと、
どうしてそんなに、
いろんなことを
否定的にとらえていたのか謎なのですが、
まあ、ダンナがなにを言っても、
何をしてくれても、
『ふてくされた、ワケのわからない嫁』状態
だったんですね。
わたしは。
そんな、『ブータレ嫁』なわたしが
その場で、
あーあ、しんどいなと、
カメラを構えて、しゃがんでみたところ、
目に入ってきたのが、この写真の風景だった。
赤やピンクの花々が、
青い空と、緑に映えていて、
これはなんてキレイなんだと。
でもそんなことを心から思ったのは、
記憶にある限り、
大人になってこっち、
それが初めてで、
わたしは、いったいこれまで、
周りをゆっくり見る余裕もなく、
いったいどれだけ、
つっぱしってきたのだろうかと。
こんな近くに、
毎年、毎年、
こんな美しい光景があったというのに。
そういえば、
子供の頃は、
草花、小川、湧き水の出る水たまり
めだかや小鳥、茶畑、ミカン畑、芋掘り。
そういう自然が身近にあって、
わたしは
自分の中からあふれてくる
『ウキウキ』でいっぱいだった。
だけど、
わたしは大人になるとともに、
いつの間にか、
そういうのも忘れてしまって、
もう、気づかなくなってしまって、
そして、
近くにあっても
見えなくなっていたんだなぁと。
そんなことを思ったのでした。
『ブータレていた』ということは、
なにかに不満があって、
自分の中で、
気に入らないことがあるということだ。
そして、それを表現できずに
苦しんでいたということだ。
でも、
苦しくて、あのとき座り込んだから、
足元の『花』が見えたし、
そこから、顔を上げたから、
この風景に気がついたんです。
あの苦しみがなかったら、
わたしはいつまでも、
一番近くにある、美しいもの、
自分の足元にある
小さな幸せには
気がつかなかったんだと思う。
だから、わたしは、
これでよかったのだと思います。
『子供には恵まれなかった』けれど、
でも、こんな『ブータレ嫁』の横には
いつもダンナがいてくれた。
しあわせは、
じつは自分のすぐそばにある。
楽しいことも、うれしいことも、
じつは自分の目の前にある。
ただ、モノごとが
自分の思い通りにならないときは
苦しいから、
『自分の中』ばかりに目が行って、
目の前のそれらが見えていないだけだ。
でも、時間がたったり、
何か、ふとしたことがきっかけで、
ああもう、そんなに
『こだわらなくてもいいんだ』と、
自分で自分を許せることができたとき、
自分の目線は中から外へと動き、
ずっと前から、目の前にたくさんあった
幸せが見え始める。
と、
この写真を見ると、
そんなことを思うのでした。
さて、
このことを
わたしがダンナへ話すときは、
『笑い話』になります。
あんなに、ひどくあたって、
『ブータレ嫁』で、
荒れまくったのに、
離婚しようとか思わなかったの?
とか、聞いたりします。
実は、これよりも前に
ダンナ自身も
いろんなことで
苦しんでいた時期がありました。
その時は、
わたしがダンナを見つめ
声をかけ続けました。
たったふたりだから、
相手をゆっくりと見つめ、
お互いの人生に、
じっくり寄り添って
生きていくことができるんじゃないか。
夫婦ふたりだけで、
『家族という歴史をつむいでいく』のも
これはコレで、
けっこう貴重な体験だなぁと。
それに、なんだかおもしろい。
と、そんなことを、
最近、思うようになりました。
(まあ、ときには、
めんどくさいなぁと思うことも
ありますが、
それは、ダンナにはヒミツで。)
では、またあした。
明日も素敵な1日をお過ごしください。
いつも、お越しいただきありがとうございます。
はな流『ツライきもちを切り替える方法』
ツライことが起こったときは、
『こんなにツライのに、
これがいつか笑い話になるんだから、不思議だよなぁ』
とつぶやく。