子供のいない人生だから、できること

『子供のいない人生を歩むことにしました』2nd! ひと山越えて、これからも夫婦ふたりで歩いていく。身のまわりの小さなことから、幸せを発見する日々の記録。

『ツライ』ことばかりで、終わらせてたまるかということ。

 

 

こんばんは
いつもご覧いただき
ありがとうございます。

ふと
思ったことがある。

65歳近くになった
母の口グセ。

人生っていうのはねぇ
『ツライのよ~』

ほんっとに、
『ツライことばかり』
なんだからね
と。

わたしの方へ
顔を向けて、
『こーいうこと』を、

『それ見たことか』
『わたしゃ知ってますよ』
というような顔をして
母は言う。

いわゆる
『ドヤ顔』ってやつだ。

おいおい、
『こーいうこと』で
『ドヤ顔』して
ソコで終わってしまって、
どーするんですかと。

当たり前なんだけれど、
ふと気づいたのは、
『わたし』の起源は、
『わたしの母親』である
ということ。

『わたしの母』は、
『子供のわたし』に、

幼いころから
『人生っていうのは
ツライんだからね』と、
こう教えた。

だからわたしは
『ツライ』
『ツライ』
『ホントにツライ』と言いながら

歯をくいしばって、
ガマンし
耐え続け、
それが『ふつう』だと思って
40歳まで生きてきた。

しかし、
『ビリギャル』のお母さんは、
『娘』に対して、

そんなときは、
『ワクワクすることを探せ』と
教えたのだそうな。

このコが『ビリギャル』ちゃん (amazonより)

えー
そうなのかー
ビリギャルは、
お母さんに
そういうことを教えてもらったのかー
いいなぁと。

わたしは、
そういうことは
『お母さん』から
教えてもらえなかった。

発生した『出来事』を
『ツライ』と認識し、
その場で抱え込んで

なげき続け、
グチり続け、
耐え続けるという方法しか
教えてもらえなかった。

だから、
自分の中で、
苦しんで苦しんで、
もがいて
もがいて、

友人、知人
ダンナの
助言も耳に入らず、
理解できず、

苦しみで
身を削りながら、
手探りで
『脱出』するしかなかった。

なるほどなぁと。

『母親』っていうのは、
『子供』に対して、
カナリ、

カナリ
『重要な役割』を
担っていたんだなぁと。

母親から
『教えてもらったこと』
『言われてきたこと』っていうのが、

自然と
頭の中に入っていて、
『すりこまれている』から、

実はそれが
『違う』と知ったときの
衝撃といったら、
ハンパなかった。

人生は
『ツライ』からこそ、
『楽しんで』生きて行こうね
っていうことなのに、

わたしは
『ソレ』を知らないまま
大人になった。

ってことは、
『そんなわたし』が、
20代のあのときに
子供を産んでいたら、

『人生っていうのはツラいのよ』
だからこうやって
なげいて、
グチりながら
一生を過ごすのよ

と、
『わたしの母』が
わたしに
やって見せていたように、

わたしも
自分の子供へ
『そういう背中』を見せながら
教えたのかもしれない。

おー
コワイ。
コワイ。

『人間の子育て』とは、
そんなカラクリになっていたとは。

子供を授かることのない『運命』になって、
初めてわかったことがある。

『人生』というのは、

『ツライ』ととらえてしまえば
『ツライ』ものになる。

だから、
そーいうふうに
『とらえなければいい』
ってことだ。

『事象』が発生した。

どーして
こーなった
と思う。

あー
とんでもないことになったと思う。

もうどうしようもない
と思う。

わたしの人生
『詰んだよ』と思う。

ああ『終了だよ』
とか思う。

しかし
そこで
考えるのだ

どこかに
『突破口があるハズ』だと。

わたしの人生は
もう絶望的で、
とんでもない
『ドン底』なんだけれど、

でも、
どこかに、
出口はあるハズだと。
突破口があるハズだと。

『ココから』なのだと。

ココから
わたしは
上がっていくのだと。

やってやるのだと。

するとね、
ツライツライと
『なげいたり』
『グチ』っている
ヒマとかは、

あまり
無いのであります。

不思議だけれど、
なげけば、
なげくほど、
ツラさは増すばかり。

だから
なげくのは
もうホドホドにして、
こう考えよう。

この『想定外な運命』を
切り返せたら、
わたしってスゴイな
と。

ここから、
巻き返すんだから、
『わたしって、スゴイんだから』と。

それくらいの
『お気楽さ』で
ちょうどいいのであります。

生きていさえすれば、
なんだってできる。

わたしの人生の『迷路』は
『壁』で行き止まりだった。

ならば、
その壁を叩き壊すか、
よじのぼるか、

引き返して、
別のルートで進みなおせばヨイ。

ただ、
それだけだったのだ。

でも
ソレをしないで、
その場で泣いて
たたずんで、

『なぜだ』『なぜだ』
『どうして自分だけが
こうなってしまったのだ』と、
なげいてるだけだったから、

何も解決しなかったのだ。

そして、
『何年も』時間だけが
経っていた。

さあ
この『想定外の運命』を
突破しよう。

この『行き止まりの壁』を
突破したわたしには、
新しい『突破力』がついた。

もう
昨日までの『わたし』ではない。

そういうことだ。

だから
きっと人生は
素晴らしいものになる。

当たり前だ。

『突破する力』がついたのだから。

次に来るであろう
どんな『壁』も、
また『突破』してやるのだ。

そしてまた
新しい『突破力』を身につける。

そうして人生は進んでいく。

まるでゲームを
つぎつぎに突破するように
果敢に生きて行く

きっとそれが、
『強く生きる』ということなんだと
わたしは思う。

『自分』に負けるな
ってことなんだと思う。

それではまた!

 - 今日、気づいたこと